小学校受験の記録

2015秋、神奈川県下の私立小学校を中心に受験した際の記録です

ご縁

「ご縁」とは都合の良い言葉だとは思います。

 

でも、偏差値ではない、基準が定まらない小学校受験においては、もしかしたら本当に「ご縁」なのかもしれないと感じる瞬間があるのは確かです。

 

わが子の受験時には、同じ保育園の受験の先輩から、「本当に縁だから」と言われました。それは、うちが第一志望校が補欠となり、まあここならと出願した学校でかろうじて合格をもらった時のことでした。その時には、「縁」を信じるよりも、「縁」というものに理屈を求めたい気持ちがあって、そう思い込もうとする感覚があったことを、うっすらと覚えています。(結果、第三の学校に通うことになるわけですが)

 

ここへ来て、わが子よりも下のお子さん達の受験の番となり、会社の中で、「小学校受験の話を聞かせて下さい」と、後輩から声を掛けられることが増え、折々、継続的に相談にのってきました。そのうちの1人は、「ペーパーは比較的できるものの、行動観察がうまくいかず、模試等でも成績が伸びない」と悩んでいました。そのお子さんは、会話の内容などから、少し変わった感性、おそらく「個性がある」という言葉で表現できる何かを持ったお子さんのようでした。いよいよ試験シーズンに突入し、そのお子さんは、Theペーパー校に合格したものの、第一志望にしていた都内の超難関校には通らず、当該の後輩は大層落ち込んでいましたが、最後まで挑戦を貫くことを勧めたところ、ある国立大学附属に奇跡の合格を果たしました。実はそこはノンペーパー校。でも、ふと思いました。ああ、あのお子さんは、きっとその「個性」を試験中に見せて、それにその学校の先生が興味を抱いたんだな、と。

 

そのお子さんは、その国立校に入学することを決めました。後輩は、行動観察に悩んだわが子が、行動観察しかない学校で興味を持って貰えたことに、きっとこの上なく嬉しさを感じたことでしょう。私も心の底から、その子がのびのびと成長できそうな環境にまずは身を置くことができそうなことを、嬉しく思いました。まさに「縁」なのではないかと思ったわけです。

 

幼稚園、保育園時代では、その子の個性って、親でもまだ見抜けないように思えませんか?うちが現在通う学校にご縁を頂けた時にはまだピンと来ていませんでしたが、入学してまもなく2年が経とうという今、わが子には、当時第一志望にしていた学校にはあまり向かなかったような気がしますし、今の学校のほうにやはりフィットしていた気もします。

 

これだけ書きましたが、すべて印象論ですし、他校との比較なんて、兄弟が別々の学校に通わない限りはできないわけです。でも、言えるのは、小学校受験における第一志望、第二志望などという順位付けは、あくまで、親の趣味にしか過ぎないということ。親は一生懸命わが子により良い学校をという気持ちで志望校を選ぶことは確かなわけですが、それが結果として正しいかは全く保証できるものではありません。その子はその子に「ご縁」があった環境で、すくすくと育っていくし、そこが向いていなければ、次のチャンスで自分の道を少しずつ切り開いていくわけで、小学校受験なんて、長い目で見れば、幼児時代の一瞬の出来事に過ぎないと思うわけです。